プロフィール

はじめまして。元大阪市職員というどこにでもいる地方公務員をしていました須田晃暢(こうよう)と申します。ここでは、大学卒業後の私のおおまかなプロフィールをご紹介できればと思います。長文になりますので、お暇な方だけお読みください。


【公務員奉職から退職まで】
京都の同支社大学院を中退後、2001年から2006年まで大阪市役所に行政職として奉職し、5年半の間、地方公務員として働いてきました。
中退した理由はたまたま大学院1年生の時に大阪市役所に受かったため、やむを得ずという形です。

公務員時代は、保健関係、総務関係、道路関係などの職場に配属され、いたってありきたりな公務員生活を送りました。
特に「もう今すぐでも辞めたい!」と思うような、役所への大きな不満はありませんでした。いたって平凡な毎日です(笑)

ただ、役所の旧態依然とした組織やその仕組みに「人生、定年までこのままでいいのだろうか」と悩むことは多く、また以前から「いつか独立してみたい」という目標、夢を捨てきることができない自分がいたのは間違いありません。

そこで思い切って入庁5年半目の2006年7月末という何とも中途半端な年度途中に退職することにしました。
結果的に年度途中になったのには様々な理由があったからですが、一言で言ってしまうと、「もう色々と我慢できなくなった」からです。

もちろん、友人や上司、同僚含めて、なかなか公務員を退職することを理解はされませんでしたが、まあこればかりは予想どおりなので仕方ありません。

そんな中、奥さんや両親だけはそれなりに理解してくれました。「あんたには公務員は向いていないと思ってたわよ」と(笑)

ちなみに退職時の退職金は64万円で、7月末に退職したのも、いやらしいお話ですが、夏の賞与をもらってから辞めようと思ったからです。



【退職後、株式会社を設立】
退職の10日後に大きなしっかりとしたプランがあった訳でもなく、勢いに任せて株式会社くらしナビという株式会社を設立しました。
設立時、私と中学校時代の同級生の2名で設立しました。私が代表、同郷者が副代表という形です。

よく、「しっかりとしたプランや事業計画があったのでしょ?」と言われますが、いえ、そんなことはありませんでした。
とにかく現状を変え、法人を設立し、新しいことに早く挑戦したかったというのが本音です。

当時は、会社経営や売上を上げる方法などが全く分からないどころか、名刺交換の方法さえままならず、営業の仕方や経理の方法など会社経営に必要なことを全て手探りの状態から始めました。

創業1年目は、フリーペーパー発行事業を行っていたのですが、このような状態のため売上も極端に少なく、初年度の売上はたったの400万円でした。利益額ではなく一年間の総売上額です。
売上から家賃や事業経費などを差し引くと、手元に残るお金はほんの僅かしかなく、初年度の役員報酬(給与)はもちろん0円という無給状態でした。
まさに悲惨です。

そんな状況だったので、給与は公務員時代と比べると雲泥の差で非常に苦しい1年目で、売上見込みも望めなかったためか、創業メンバーの同郷者も相当に生活が厳しかったようです。
そして、1年目終了のある日、突然に会社に来なくなりました。

電話してもメールしても一切の音信不通です。
一般的な言い回しをするなら「飛んでいったしまった」という状況です。
創業メンバーにも見捨てられ、一年目はこうして失意のうちに終わりました。



【法人設立2年目以降】
売上事態は極端に少なく、「会社」と呼べるシロモノではありませんでしたが、普通の公務員として働いていた時とはうって変わり大きく公私にわたり生活が大きく変化しているのは感じました。

公務員時代はいつも決まりきまったメンバーと会い、毎日がルーティンな仕事の日々で、「今日は終わったらどうしようか」をよく考えていましたが、独立後は様々な職種や立場の人と毎日逢えることが楽しく、また、今まで全く知らない知識・情報が日々刻々と増えていくことが公務員時代には決して味わうことができなかった「経験」となり、非常に刺激的な毎日となりました。

2年目からは地道に活動を続けてきた営業の成果か、徐々に売上も伸び、3年目には比較的売上も安定してきました。
というのも、創業時の事業、フリーペーパー事業に早々に見切りを付け、人材事業にシフトしたからです。

シフトした理由としては、フリーペーパーの広告営業をしている最中に、「スタッフが足りていないからそれの広告なら出せるけど」という声を多くいただいたことです。
まさに「お客様の声を聞く」という基本的なことを実践したことが大きな転換を生みました。

従業員も雇えるようになり、売上も大きく上昇し続け、その利益でサッカーチーム、セッレソ大阪のサポーティングカンパニーになったりと当時の話題のベンチャー企業の1つに数えられることもありました。
参考:公務員から起業家へ!中小事業者向け求人サービスで急成長【株式会社くらしナビ】
その後、2010年頃からは関連会社も立ち上げ、コールセンター事業やコンサルティング事業、ネイルサロン事業などを立ち上げ、くらしナビの他、何社かを保有するまでになりました。



【企業譲渡】
こんな中、2015年大きな転換期を迎えました。
2006年から代表をしてきたくらしナビの企業価値を非常に高く評価してくださる会社さんが現れました。
確かに小さい会社ながら財務状況も良く、売上も安定し、尖った事業展開をしていたのは間違いありません。

そこで悩み悩み抜いた結果として、2015年8月末にM&A(企業売却の手法の一つ)により、くらしナビを持ち株ごと企業譲渡することにしました。
参考:【大切なお知らせ】代表取締役退任のお知らせについて

10年間経営してきた会社を、ここまで立派なに正当評価してもらったことは私にとっても大きな喜びでした。
この方ならこれからのくらしナビをさらによくしてくださるだろう、と思い譲渡を決断しました。
ここ最近では最も大きな決断だったと思います。



【現在】
起業譲渡後、ふらふらしているという訳ではなく、現在は、株式会社プリナチュール、株式会社KTIのはか3社の法人代表をしております。

1)ネイルケア専門サロン事業
3年前から始めているネイルケアサロン事業が株式会社プリナチュールです。
現在は、梅田・心斎橋・神戸・新宿・池袋・沖縄の6店舗を運営しています。
ジェルネイルやネイルアートができない、興味がないという公務員のお客様も多く来られるネイルサロンで、このネイルケア分野のサロンでは業界内ではけっこう有名な知名度になってきたかなと思います。

今後は店舗拡大も進め、2017年中には10店舗にしたいな、と思っています。
ジェルネイルやネイルアートメニューは一切なく、お客様もナチュラル系の方が大変多いちょっと一風変わったネイルサロンなので、ご興味ある方は一度ご来店ください。
公式サイト:http://www.prinature.jp/
オンラインストア:https://www.prinatureshop.jp

2)コンサルティング事業
2010年からこれも別法人を立ち上げ、コンサルティング事業をしています。
私は0から10のうち、3か4くらいまでの規模程度の事業をうまく立ち上げる、スタートアップ時の事業展開は得意なので、新規事業立ち上げや、集客支援などを主な生業としています。

コンサルタントとして他企業に客観的に関わる場合もあれば、昨年のメインの会社代表を退任後、「暇になっただろう」と思われたのか、色々とお声かけをしてもらい、外部顧問や外部役員という立場で色々な会社の経営に参画させてもらっています。




【公務員からの転職や起業支援】
全国に350万にいると言われる公務員という職業から転職や独立を考えている人は決して少なくありません。
仮に100人のうち1人が本気で脱公務員を考えているとしましても、それだけで全国3万人強の方々が同じ思いを抱えているいることになります。
一方で私のように公務員、役所を飛び出した後にその後の「今」を語る人は決して多くはありません。

その経験や公務員からの転職情報サイト「公務員プラス」の運営を通じ、2012年から現役公務員の方向けに各種退職相談を行っており、今までに約250名ほどの相談をお受けしてきました。
この写真はこの1年半で相談いただいた方々の相談シートです。
何枚あるのか分かりませんが、けっこうな厚みになりました。

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お一人様につき一枚を事前にご記入いただき、それを元にアドバイスをさせてもらっていますが、ご相談者の方の中には後々に、

「相談したことで人生が大きく変わりました。ありがとうございます。」
「初めの大きな第一歩を踏み出すことができました」

などやはり大変嬉しくなる感想もいただくことも珍しくないので、それが嬉しくてこれからも相談に乗れたらなと思っています。
けっこうズバズバと「退職したほうがいい」「残ったほうがいい」と言ったりしますが、公務員退職者の先例として、また色々な方のご相談や退職経験者インタビューをしてきた身として、適当なアドバイスはしないよう務めています。

余談ですが、公務員を思い切って辞めて良かったのか悪かったのかは、どの時点を基準とするかでその答えは変わってくると思いますので、何とも答えが難しい質問になります。

私の場合、退職一年後を基準とすれば給料0円の状態になり、けっこうどうしようもない状態ではあったので明らかに失敗だった、になるでしょうが、退職から10年経った今を基準とするなら公務員時代の生涯賃金程度はもう稼げ、ある程度自由に生きられていると思いますのでその意味では成功だとは思います。

ただ、これから10年、20年先は、引き続き何の保証もなく、自分の身は自分で守っていかないといけない訳ですので、無一文になっている可能性ももちろんあります。
そうなると最後の最後で公務員を辞めて失敗だったなーとなるのかもしれません。

結局のところ、最後に退職するかしないかを決めるのはご自身であるのは間違いありませんので、その決断までの道筋を補強するためにも、ご相談をいただき、役所に残るか卒業するかの最後の「覚悟」をぜひ決める材料にしていただければと思います。




【プロフィール】
須田晃暢(すだこうよう)
1978年2月8日生まれの39歳
1996年 大阪の初芝富田林高校卒業
2000年 同志社大学経済学部卒業
2001年 同志社大学院商学科ベンチャービジネスコース中退
2001年 大阪市役所入庁
入庁の後、保健センター、区役所、建設局などで総合職として勤務
2006年7月31日 大阪市役所退職
2006年8月10日 株式会社くらしナビ創業
アルバイト求人サイト「ヤッパシゴト」の企画・運営(未上場企業運営の求人媒体としては関西最大規模へ)
求人サイト構築システム「ジョブマイスター」の企画(一時期、業界トップシェアへ)
2010年1月 Jリーグチーム「セレッソ大阪」のサポーティングカンパニー加盟
2010年 株式会社KTI設立
2012年9月 役人廃業.comの新管理人就任。これに伴いサイト名を公務員プラスに変更
2013年 株式会社ミサナ企画設立
2014年 株式会社プリナチュールを設立
2015年8月 株式会社くらしナビ代表取締役を退任
現在に至る
二女の父として子育てにも最低限奮闘もしています。
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